【本紹介】『プラスワン思考』歯科医が書いた経営書を、元歯科医の内科医が読んでみて

おすすめ本
プラスワン思考 ーー 「あと一歩」「あとちょっと」から始めよう! 味岡武志 (著)

プラスワン思考 ーー 「あと一歩」「あとちょっと」から始めよう!味岡武志 (著)

医師として何年か働いて、ひととおり業務が回せるようになったころ、ふと臨床能力が止まった感じがすることはないでしょうか。

日々は忙しい。当直もこなしている。でも、去年の自分と何が違うのかと問われると答えに詰まる。慣れたぶんだけ、惰性で流している時間が増えている。

私がそういう状態にいたときに手に取ったのが、この本でした。

味岡武志さんという歯科医師が書いた本です。私はもともと歯科医師として7年ほど働いてから医学部に入り直しているので、著者の書く世界には土地勘があります。そのぶん、素直に読めた部分と、引っかかった部分の両方がありました。


まず、これは思考法の本というより経営書である

先に断っておきます。タイトルから自己啓発書を想像すると、少しずれます。

前半こそ「プラスワン思考」——もう一つ、もう一回、もうひと工夫という心構えの話ですが、本の重心は後半にあります。開業した歯科医院でオープニングスタッフが全員辞めてしまい、そこから組織を立て直すまでの記録です。

チューター制度、クレド、スタッフの新しい職種の設置、任せ方の設計。中身はかなり具体的な組織づくりの話で、想定読者は院長や経営者です。勤務医が読むと、半分くらいは自分の管轄外の話になります。

それでも読む価値があると思ったのは、前半の思考法の部分と、教育について書かれた箇所が、勤務医にもそのまま効いたからです。

「あと一歩」

私はもともと、わりとすぐ諦めてしまう性格です。

この本を読んでから、もうだめだと思った場面で「あと一歩」と考えてみるようにしました。すると意外なもので、まだできることを探している自分が出てきます。

探した結果、何も見つからないこともあります。それでも、探しにいったかどうかで、その後の納得感がまるで違う。惰性で働いているときは、そもそも探しにいっていないんですよね。目の前の処理で完結してしまう。

派手な変化ではありませんが、止まっていた感覚には効きました。

教える側にとっての「初回性」

この本のなかで、いちばん手が止まったのは教育の章です。

歯科医師にとって抜歯や虫歯治療などのほとんどの業務はルーティンで、全体の何百分の一でしかない。でも患者さんにとっては、その一回が初めての体験かもしれない。だから相手の気持ちを汲み取って向き合う必要がある。そういう趣旨のことが書かれています。

内科でも同じです。CVを入れるのも、胸腔穿刺をするのも、こちらは何十例目でも、患者さんは初めてです。惰性で働いている状態というのは、まさにこの初回性が見えなくなっている状態なのだと思います。

ただ、私が思い出したのは患者さんのことではありませんでした。

歯科医師だったころ、新人の歯科衛生士の教育を担当したことがあります。そのとき、ふと思ったんです。この人にとって、自分が最初に一緒に働く歯科医師になるのかもしれないと。

初めて組む相手というのは、その後の基準になります。仕事のやり方だけでなく、この職場が安全な場所かどうかの感覚まで含めて。自分の教え方が、この人のこれからに影響してしまうかもしれない。そう考えると、迂闊なことはできません。

一方で、当たりを柔らかくすればいいという話でもありません。甘やかしても人は伸びない。指摘すべきことを飲み込むのは、その場をやり過ごしているだけです。

私自身、過去に厳しさが行き過ぎた指導で苦しんだ時期があります。だからこそ、同じことを繰り返したくない気持ちが強い。でも、その反動で何も言えなくなるのも違う。ここは今も答えが出ていません。

本のなかには、感情的に怒るのではなく成長のために叱る、まず相手に考えさせて、最後は前を向かせる、という具体的な手順が書かれています。実際にそこまできれいにできるかは別として、型があること自体は助けになります。

落ち込んでいるときには、勧めない

ここが、この本を紹介するうえでいちばん書いておきたいところです。

「あと一歩」は、余力があるときには自分を押し上げてくれます。惰性で止まっているときには、ちょうどいい燃料になる。

ただ、メンタルが落ちているときに同じ言葉を自分にかけると、意味が反転します。 「あと一歩」が「まだ足りない」に化けるんです。

この本は、うまくいかない原因を他人のせいにする他責から、自責への転換を軸に据えています。経営者としては正しい構えだと思います。でも、消耗している人が自責を強めると、行き着く先はろくなことになりません。全部自分のせいだ、という方向にしか進まなくなる。

医療者にはこの状態の人がそれなりにいます。だから、読む前に自分の残量を測ったほうがいい。同じ思考法が、状態によって薬にも毒にもなります。

分かれ目は「余力があるかどうか」

前に紹介した『1分で話せ』は、相手が結論を待っているかどうかで効き方が変わる本でした。この本の場合は、線がもっと内側にあります。

余力があって惰性で止まっているなら、効きます。 探しにいく癖がつく。

余力がなくて止まっているなら、効きません。 むしろ悪化させます。

同じ「もう一歩」でも、押していい背中かどうかは、自分で判断するしかありません。


この本について

愛知県で歯科医院を開業されている味岡武志さんの著書です。開業後にスタッフが全員退職するところまで追い込まれた経験から、他責をやめて自分を変えることで組織を立て直すまでが書かれています。「プラスワン思考」は、もう一つ、もう一回、もうひと工夫という心構えを指す言葉として使われています。

歯科医院という具体的な現場の話が中心なので、医科の勤務医が読むと置き換えが必要な箇所は多いです。ただ、医療というサービスをどう届けるかという視点は共通しています。


向く方・向かない方

向く方:業務に慣れてきて、伸びが止まった感覚のある方。後輩や新人の指導を任され始めた方。将来的に開業を考えている方には、後半の組織づくりの章がそのまま参考になります。

向かない方:いま消耗している方には勧めません。自責を強める方向に働きます。また、体系的なマネジメント理論を求めている方には、一人の経験談としての性格が強いので物足りないかもしれません。


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